2014-7-4


 定時で切り上げようという日に限って誰がやったっていいような急ぎの雑用を頼まれてしまい 待ち合わせをしていたKさんに遅れますという連絡をして 予定していた時刻を20分過ぎてからようやく会社を出た 粉のような霧雨の降る駅までの道は傘をささずに走ってやり過ごし こういう時にさっと取り出すとしまうことのできない折り畳み傘の不便さは良い言い訳になるなんてことを思う 最近は自転車に乗って移動することが多いから前以上に人混みが苦手になってしまって あわあわと上げた足の着地点を探してしまうような歩き方で新宿での乗り換えを終え一息つくと そういえばヘッドフォンを買う時はKさんに相談したのだったということを思い出した B&OのH6買えば? と彼は言ったけれど 結局僕はFocalのSpirit Classicを選んだ
 大塚駅の適度な人波に安心して約束の居酒屋に入ると Kさんは入り口に近い窓際の席でビールを飲み始めていた 僕に気がつくと 彼はなぜか壁側の席を僕に譲ってくれ 簡単な挨拶をしてお久しぶりですなんて世間話からはじめた


「仕事どうですか?」


「スタジオ売ることになって 翻訳とか編集の仕事メインでやってくみたい だからもっと頑張ってみたいなこと言われちゃって」


 彼の部署はコンテンツを発信するという名目で自社にスタジオを構えていたが 数年前に会った時に「業績悪くてレンタルすることになったみたい」という話をしていたような記憶があり この度とうとう売りに出してしまうらしい 人もすごい減っちゃったよ 毎月送別会があって先月も4人くらい辞めた 俺送別会行かなかったけど と続けた


「そういえばKさんから今日飲むんでしょ? みたいなメールありましたよ 戸田かなんかに引っ越したんですよね」


 共通の友人であるKさんからのメールを見せながら言うと あぁそうみたいねなんて答えながら 彼の結婚式で会った友人の近況について話し 買い続けている漫画の話をし 聴いている音楽の話をした 彼はエレクトロニカが好きでネットで情報を集めているようだったが 最近はCDや音楽を紹介する個人ブログは加速度的に減っていると言った


「俺が見てたエレクトロニカ紹介してたやつも急に更新しなくなっちゃったし」


「インターネットを寂しさを埋めるツールみたいに使う人が増えたからじゃないですか? Twitterに移行したとか」


「ブログに書いてないから移行してないと思う しかもそういう人がTwitterに移行すると 音楽知ってるから俺! みたいな空気出すから嫌なんだよね やってることが一つ前のアルバムと一緒です! とか書いたりさ」


「あはは でも音楽レビューできる人ってすごいですよね」


「うんすごい 俺ジャンルとかしか書けないもん」


「僕も同じ言葉ばっかり使っちゃいそうです ミニマル! インダストリアル!」


「ミニマルな曲とかそんなないからね」


 発展性のない会話を形式美的に続けて一頻り笑ったあと でも俺もTwitterとかだと知ってる振りしちゃうかもなぁ とKさんはとぼけた風に言って 自身が過去に参加した音楽関連のコミュニティでそのように振る舞ったことがあったと笑った


「なんか全然うまくいかなかったけどね ○○くん(僕の名前だ)って気○いなのに――」


「気○いじゃないですよ」


「変態なのに人とうまくやれてるよね」


「あぁ……まぁそうですね」


「メンヘラなのに」


「メンヘラじゃないですよ」


「こう 線が引けるメンヘラだよね」


 Kさんとご飯を食べると最終的にはお互いの音楽や小説の話に流れついて 僕は最近Google Driveに移した書きかけの小説をiPhoneで彼に少しだけ見せ 彼は過去にあった音楽に関する秘密を話してくれた 夢物語を突き進んだわけではないにしても夢の中には立ったという風な内容だというのに Kさんの素直な語り口では日常にあった些細なできごとのようにも感じられた 店を出て終電一つ前の電車に乗ってKさんと別れたあと 僕は久し振りに満員の電車に乗りながら彼の音楽を聴いて 自己欺瞞のない創作物の価値についてあらためて強く実感するんだった


「ちょっと今後のために訊きたいんだけど ○○くんってなんで小説書くの?」


「昔は現実逃避でしたけどね」


「今は現実逃避してないけど書くわけだよね?」


 現実逃避から生まれる文章に違和感を覚えた時から 僕はゆっくりと文章と戦うことを止め 代わりに気まぐれな動物と接するように静かに寄り添うように文章を書き続けていこうと決めた


「多分 何か変わってきてるんでしょうね」