宇宙人と会食した今日は記念日だ

 終業後 前に一度奢ってもらったお礼としてS氏と食事へ行く S氏は中野に住んでおり 五時三十分(定時)後は中野から東高円寺付近 または新宿三丁目周辺をうろついているらしい 彼は交友関係が広く 僕よりいくつか年上ということもあってお店に詳しかったので 「じゃあ中野のお店に食べ行きましょう」と提案した彼の後ろを 僕はずっとついていくだけだった 新宿から総武線で八分ほど下るともう自分の街についてしまうという事実に いつも一時間以上かけて通勤している僕は愕然とする


「先生も中野引っ越してきましょうよ ほら++ちゃん(彼の友人であって僕の知り合いではない)も引っ越してくることですし」


「中野はSさんのなわばりなんでやです」


 彼に導かれるまま 中野駅の北口を降り まだ明るい商店街を進んでいく 怪しい店が建ち並んでいそうな細い道だったのだけど あるのは居酒屋やカラオケや小さな商店ばかりで 風俗やキャバクラはなさそうだった その一角にあった焼肉屋に入って 適当に飲み物と料理を注文したあと 妙に床がぬるぬるとしていることに気づく


「なんか床ぬるぬるしてますね」


 僕の座席だけではなかったらしく テーブルの下を覗き込みながら彼が言った


「そうですね」


「これが中野クオリティですよ 先生」


 言うまでもないことだけれど 彼はいわゆるネラーだ


 乾杯して 肉食べて くだらない話してる最中 彼の携帯にメールが届いた


「『仕事終わって今から帰る』ですって」


「恋人とかですか?」


「いや 違います この子は……なんていうんでしょうね 男女間で親友っていうのが成り立つなら それに一番近い子ですね」


「そんな子が『今から帰る』なんてメールしてくるんですね?」


「えぇ この子 いつもメールしてくるんですよ 朝は『これから仕事行く』とか 昼だと『今会社の用事で外』とか」


「可愛い子ですね」


「この前靖国神社参拝問題のことで切れてましたけどね」


 軽薄な言動や態度とは裏腹に 選挙には必ず投票したり 店員のサービス品質には厳しい社会派の彼だけれど その彼ですら引いてしまうほどの勢いだったらしい 彼女の血縁が靖国神社に埋葬されているからなんだとか色々と理由はあるようだけど まぁそれが彼女の性格なんでしょうね と彼は苦笑していた


「彼女 アパートの下がうるさかったりすると『この騒ぎいつまで続くの?』とか言いに行っちゃうんですよ」


「Sさんと思いっきり同じタイプですね」


「やだなーもー先生 博愛主義者ですから 僕は」


 彼はご飯を片手に 思い出したように話題を変えた


「そういえば求人見てたんですよ そうしたら昔行ってた会社が求人出してて 後輩だった子が『こんな感じで教育します!』みたいに載ってたんですよね なんか時代の流れ感じちゃいましたよ その男の子 Mの同期なんですけどね」


 MというのはS氏が毛嫌いしている女の子で 色々な部署をたらい回しにされたあと 結婚するからといって寿退社したのはいいけれど 他の社員からは「間違いなく実家に帰ったんだ」と噂された不憫な女性社員のことだ


「あとパツパツの写真も載ってまして」


「誰ですかそれ?」


「あだ名です いつもパツパツした服着てたからパツパツ」


「あはは」


 食事を終え 絶妙のタイミングで差し出されたお茶を飲み 店を出る 彼が「お茶していきましょう」と言うので 商店街のど真ん中にあるドトールに入り 二階の一番隅の席でコーヒーを飲みながら雑談する 食事のお礼と言って コーヒーは彼が奢ってくれた


「Hさん辞めるでしょうね」


 Hさんは会社であるプロジェクトに失敗した責任を押しつけられ 課長から平社員に降格させられた人だ


「辞めるでしょうね プライドの高い人ですし Yさんの下になるっていうのはあり得ないんじゃないですか?」


 彼は乾いた笑い声を上げて アイスコーヒーを一口含んだ


「あんなにぼろぼろに痛めつけてどうするんでしょうね? もう辞めるしかないですもんね」


 僕が肯いたのを確認してから 彼は続ける


「Tさんが言うには Aさんの策略だかなんだからしいですよ やっぱり誰かしらいるんですよね」


「でもTさんが言ったことかぁ 信憑性薄いですね」


「いやいや先生 あの子があの子なりに考えたんですから」


「でも 半々くらいで的外れなこと言いますからね」


 会社のことばかり話していたら滅入ってきたので 少し前に観に行ったというaugusta camp 2007のことを訊ねると あぁあぁあぁ と言って彼は半笑いで答えた いや なんか微妙でしたね 途中ですごい雨が降って機材トラブルになったりとか それで1時間近く中断しましたからね なんか今回のはすごくシカオがフューチャーされてて 合間合間に出演アーティストがシカオのカバーやってたんですよ 僕もその時はテンション上がってたんですけどねぇ それから僕アリーナ席だったんですけど 隣に子供連れの若い夫婦がいて こいつらが三人なのに二人分しか席取ってなくてもうやりたい放題で 靖国参拝の彼女と行ったんですけど 彼女が怒って注意しても駄目だったんで結局がらがらの二階席から観たんですよ というかもうファン層が駄目ですよ 三十〜四十歳のおばさんばっかりですからね 若い子もちらほらいますけど というかもうシカオが駄目なんですよ amazonのレビューとか見ても『悩んでいる時にこの歌を聴いて勇気が出ました』みたいなコメントが載ってるんですよ こんな需要があるんだなぁってもうびっくりしちゃって 昔は『身内気取りのファンがうざい』とかWebに載っけたりしてたのに やっぱりフォーフラ(4 flasher)のあとのスランプが駄目だったんですね スランプ明けたら急に応援ソングみたいなの歌い出しちゃって あっれーって


「まぁ……言いたいことはよく解りました」


「やっぱり世界に対する苛立ちみたいなものがあの人の原動力だったと思うんですけど それが少しずつ薄れてきちゃったんでしょうね それにああいう負の感情をぶつけるような歌を歌うのって すごく疲れるとかも言ってましたしね」


「へぇ」


 トイレに立ち 用を済ませ出ると いつの間にか僕らのトレイが片づけられており 待たせていたS氏が「九時までだったみたいですよ」と声をかけた


「あ そうだったんですか」


 ポケットから携帯を取り出し時刻を確認すると 既に九時を十五分ほど回っていた


「なんで店員さんも何も言ってくれないんですかね」


 S氏は納得いかなげな様子で呟き 席の下に置かれていた僕のバッグを手渡した 階段を下り テーブルに椅子が上げられすっかり閉店の準備が整った店内をすり抜けて自動ドアの前に立ったけれど 既に電源が切られていて反応せず 手で扉を開けると 店員の女の子が「すみません」と照れ笑いしながら会釈をした 夜でもそれなりに騒がしい商店街を抜け S氏の家がある駅の反対側へ向かい 友人K氏の家があるあたりでS氏と別れ 中野在住のK氏に電話をしてみた K氏は中野のネットカフェではじめの一歩を読んでいるところで 僕が中野に来ていることを話すと とりあえずお店を出るからと言って携帯を切った 申し訳ないことをしたなぁと思いながら 近所のコンビニでバガボンドを立ち読みして彼を待っていると 十分ほどでやってきて 一言挨拶のあと かごの中にビールとウィスキーと適当なお菓子を詰め込みはじめた