おそいひと


 前回ブログを更新したその日に中野在住の友人K氏へ電話をし 翌日に一緒に観に行った だからこれはもう随分前のことなのだけど




 たまたま電話をした同僚のS氏へ東中野の映画館へ行くことを伝えると あぁあそこですね いつも電車の窓から見てますよ あの駅前にすぐあるやつ ポレポレ? ポロポロでしたっけ? じゃあ東中野くる時は俺に連絡くださいね と言われていたので『今日 映画観にいきますよ』とメールをすると それじゃあ東中野でちょっとお茶でも飲みましょうということになった 彼は客先から直接 僕は会社のある曙橋から市ヶ谷を経由して東中野へ向かっていたが 総武線新宿駅で停車した時 偶然にも僕が立っていた乗車口からS氏が乗り込んできて お互い顔を見合わせて苦笑いしたあと 僕はヘッドフォンを外し彼に声をかけた


「同じ電車ならまだしも 同じ車両の同じ乗車口に乗ってくるってすごいですね」


「やっぱりあれですね 先生と俺 引き合ってるものがありますね」


「ないよ」


 電車に乗っている最中 彼はずっと手のひらを口にあて 小さく咳をしていた


「風邪ですか?」


「そうなんですよ 咳だけが酷くて 熱もないし喉も痛くないんで他は大丈夫なんですけど」


 新宿から5分ほど 初めて降りた東中野駅は ひどく寂れた場所に見えた


東中野降りたの二回目くらいですね」


「中野に住んでるのに?」


「用がないですからね 電車に乗ってる時も 東中野駅って本当に邪魔だなと思いますから この駅飛ばしてくれればいいのにって」


「あぁ 僕も新宿から池袋へ行く時とか 目白駅っていらないんじゃないかなぁと思いますね」


 当てもなく改札を抜けて大通りの交差点でどうしようか考えていると 信号の向こうにドトールが見えたのでそこへ入ることにした K氏は仕事があり到着が映画開演ぎりぎりになるらしく 結局K氏からのメールが届くまでずっとコーヒーを飲みながら お互いの近況を話したり 彼の愚痴を聞いたりしていた


「ここぞとばかりに雑用ばっかりやらされてますよ」


「あぁ まぁそうでしょうね 事務所 今ろくな人がいないですし」


 彼は今月から本社へ戻りいくつかの業務を請け負いながら細々とした社内の雑務も押しつけられているらしい もう一人誰かいればいいんですけどね と言う彼に いない方が良い方向へ向かう人っていうのもいますけどね と答え二人で笑う


 20時30分を過ぎた頃 K氏からメールが届いたのでS氏と別れた 暇潰しに付き合ってもらっちゃったみたいですみません そう言って軽く頭を下げると 彼はいえいえと笑った


「歩いて帰りますよ 近いんで」


「そっか お大事に」


 駅前でK氏と落ち合い 映画館の近くにある喫茶店でコーヒーとドーナツを一つ買い二階へ行くと ボックス席が全て埋まっていたので一番奥のカウンター席へ座ることになった 隣の席では いかにもサブカル好きといった風の若者二人が「絶対これ面白いから!」と心なしか大きな声で会話をしていて きっと彼らも同じ映画を観て ほらすごかっただろうなどと大声で話しながら帰るのだろうと よくできたテストを返却する時のような奇妙な信頼感でもってそんなことを思った 最近ペンタブレットを買った 曲作ったりしてる など少しお互いの話をしたあと 唐突に彼が「そういえばちょっと**君(僕の名前だ)に提案があるんだけど」と言い出した


「なんですか?」


携帯小説書いたら?」


携帯小説ですか?」


「そう 俺も書こうと思うし」


「嘘でしょう」


「うん……まぁ 書かないだろうけど」


 多分無理ですと断って 時間になったので映画館へ向かった 映画館は地下にあり 階段の両端には映画の広告がこれでもかと並べられ または貼り付けられていて 久し振りにライブにでもきたような気分になった




 映画が終わって どうにも中途半端な時間だったのだけど 駅前にある居酒屋に入って軽く食事をした 彼も僕も いつもどおりビールと烏龍茶で乾杯する 飲み物と一緒に注文した枝豆は なぜか蒸し器に入れてテーブルへ出された


「曲ってどんなの作ってるんですか?」


 いつもどおり 彼の話からはじめる 彼はお通しを食べながら 自分で歌を歌おうと思って童謡のもみじをカバーしたやつ作ってるんだけど挫折した と言って笑った


 挫折って 歌いたいんだったら 前に自分で作ったやつに歌入れたらいいじゃないですか? 元カノに歌わせたってやつ あれ あんまり好きじゃないんだよね俺 好きじゃないのに歌わせたんですね


 ちなみにその曲は 声を入れた元カノが「これほどどうにもならないとは思わなかった」と嘆く程どうにもならなかったらしい


「**君はなんか書いてないの?」


 会社のノートPCに入っている未完成のWORDファイル群を思い浮かべながら 僕は枝豆を食べる 書こうとしているものはいくつかあるが 形になりそうなものが一つも思い浮かばず 仕方なく「ブログに書いたあの猫の足がどうたらってやつを今書いてます あんまり進まないですけど それ以外では 前にKさんに送ったやつが最後ですね」と答えた


「ふぅん そういえば文芸フリマってどういうのなの? ネット上でやるやつ?」


「いや 普通に本の手売りですよ フロアに一杯店があって みたいな 僕も行ったことないからよく解んないですけど」


コミケみたいな感じ?」


「多分」


 そう肯いたものの 僕はコミケに行ったことがないのでよく解らないし 多分彼も行ったことはないのだと思う


「へぇ あの可愛いコメントの娘と一緒に出るの? というか知り合いの娘なんでしょ?」


「いや 知り合いというか……前にhatenaでブログやってて その繋がりがあるだけです ある時ぱっとブログ止めちゃったんですけど 個人のホームページ持ってたみたいで そこから僕のブログがリンクされてて みたいな」


「素敵じゃんそれ!」


 彼は今日一番の大声で言った


「はぁ……」


「素敵だよ! そんなことあったら俺三ヶ月は生きられるよ!」


「Sさんもいなくなっちゃいましたし 楽しいことなさそうですもんね」


「そういえばSさん辞めなかったんだよ」


「え? なんでそれブログに書かなかったんですか?」


「いや 時間勿体ないから」


 彼は『ネットは一日40分』と自己規制を引いている その中で知り合いのブログなどもチェックしているが 物臭な人達ばかりが周りに集まっているのかほとんど更新されていないので「馬鹿か! 毎日更新しろ!」と思いながら光の速さでブログを閉じる それが最近の日課らしい


「いやいや ブログに書かなかったとしても 僕個人にメールしてくれてもいいくらいの大事件ですよね それ」


 ちなみにSさんというのは K氏と同じ会社で働いている北海道出身の女性で 彼の『今月の好きな女の子ランキング』における上位ランカーだ(彼氏と同棲中)


 S氏についての顛末を詳しく聞いたあと そういえば今日28歳になるんだという彼の誕生日を0:04にお祝いして 時間ぎりぎりまでお店でうだうだと魚の開きを食べ 終電で帰った


「できたら年内にもう一回会って 忘年会しようよ」


「そうですね Kさん(新大久保在住の別のKさん)にも声かけられたら」


「うん」


 新宿方面の電車に乗って 彼と別れた
 別れ際 彼は自動販売機でコーヒーを奢ってくれたが 自意識過剰な僕はどうしても電車の中でコーヒーを飲んだりすることができず 地元の駅を降りた頃には コーヒーはすっかり冷め切っていた