linus recordsへ行こうとホームページを覗いたら 店主体調不良の為しばらくお休みという案内が貼られており 大人しく帰ろうかとも思ったけれど どうしても真っ直ぐ家へ帰る気がせず Kさんを誘ってご飯を食べることにした 総武線に揺られ 窓の外の釣り堀を眺めながら 稀に生まれる『どこかへ寄らずには帰れない』というやりきれなさについて考える 中野駅前で待ち合わせ 会うなり「ビール飲みたいんだけど」と行って居酒屋へ向かうKさんのあとをついていく


「ちょうど今日から暇になったんだよ もう8月は一切仕事しない」


 お手拭きをまごまごさせながら K氏は苦々しい顔でそう言った 新人と思われる女の子へ声をかけ適当に注文を済ませると 彼女は「ではご注文を繰り返させていただきます」とたどたどしい口調と態度で注文を読み上げ 早足で厨房へ去っていった


「ああいう意味もなくてんぱってる子ってちょっと好きだな」


「あぁそうですね 微笑ましいですね」


 Kさんは相変わらずMADの公開が禁止されたniconico動画の今後と 会社を辞めてしまったSさんのことを憂いており 別の女の子はいないんですかと訊ねると「いや 誰もSさんの足下にも及ばないよ」と笑った


「そういえば うちのアパートで殺人事件が起きたんだよ」


「へぇ」


 意識的に感情を押さえたという訳でもないけれど それ以外に言葉は出なかった 他人の死の軽さは異常だ


「なんだよ へぇって」


「家賃劇的に安くなったりしました?」


「いや そういうのはないんだけど」


「バーロー大好きなKさんの出番じゃないですか」


「いや まあね もうどうしてもって依頼が来たら手を貸してやっても良いけど」


「というかKさんが犯人でしょう? なんかあの画鋲とかクリップとか使って布団干しといてドア開けたらどうのこうのとかそんなトリックですよね」


「雨降ってるのに布団干しっぱなしだったとかそんなやつあったね まぁ自殺らしいんだけどさ 警察が来て色々訊かれたんだよ 俺その時まで事件のことなんも知らなかった」


「そうなんですか」


「うん 事件起きたの夜なんだけど 寝てて気がつかなかった」


「探偵失格じゃないですか」


「うん 俺 探偵無理だ」


「あはは」


 この数日後 僕は久し振りに立ち寄った実家で祖母の身体に小さな癌が見つかったことを聞く 祖母へ電話をし病気のことを訊ねると 「ここ数日は頭を叩かれたみたいにぽぉーっとしてるんだよ」と言った そして「おばあちゃん もう少し生きたいよ」と震えた声で続け――おそらく――電話口で涙を流していた 喉が詰まって甲高くなった声で 僕は「大丈夫だよ」という口癖を繰り返し 電話を終えたあと 何年か振りに泣いて「悲しくなったの?」という彼女の問いに「どうなんだろう?」と訳の解らない答えを返した 「病」「死」「喪失」「涙」「悲しみ」 これらの事象と それから呼び起こされる感情のあいだにある繋がりを見つけられずにいる 父方の祖母は癌で亡くなっているが 当時高校生だった僕は表層的な悲しみすら覚ることがなく 死という事実と結びつかない感情がどうにもうまく処理できず途方に暮れていた だからといって世界が夕方のままであるはずはないし それに対抗しようと感情を霧のように薄めて生きていたところで 何でもない一瞬に笑ってしまったり ふとした一言に感動してしまったり 誰かや誰かの生み出したものを好きになってしまう時が 遅かれ早かれやってくる
 電話のあと どうして泣いてしまったのかは今でもよく解らないし きっと今後もよく解らないのだと思う ただ「泣く」という行為は どうも僕にはおこがましいものであるように感じられる