東京

 東京へ来るというMさんに声を掛けられた 彼女は岐阜に住む音楽好きの大学生で 少し前にふとしたことで電話をした時に 最近はアンビエントを聴いていると言っていたから なぜか2枚持っていたrafael anton irisarriのアルバムをあげると言ったらとても喜んでいたが 実際に会ってCDを渡すと反応は薄かった


 新宿三丁目の地下でお久し振りですと挨拶をして そういえば数年前にもこんなことがあったと思い出す もう5年近くも新宿に勤めているというのに僕は相変わらず街のことを何も知らず かといって前回のように喫茶店を探して新宿を当てもなく歩いたりはしたくなかったので 階段を上がってすぐ目についたスターバックスに入ろうとMさんに言ったが 煙草を吸えた方が良いというので 適当に歩いた先でたまたま見つけたドトールに入った 僕はコーヒーを 彼女はオレンジジュースを注文して店内奥の喫煙席へ向かった 喫煙席に一人で座っている人は身体を大きく見せるようにゆったりと座っている人が多い その傍で僕等は音楽の話をして Mさんのぐうたらとした学生らしい生活の話をして 生まれて一年半になる子供の話をする Mさんがくれたマーブルチョコを食べながら彼女の雑多なバッグから出てきたiPodを見せてもらい 代わりにiPhoneを渡す 僕のiPhoneを弄る彼女の指先が震えていて 冷房が効き過ぎて寒いですねと言うと 緊張しているんですと笑った


「jenifereverの新作いまいちでしたよね? ジャケットもなんか変だったし」


 寒さに耐えきれなくなったところで店を出て Mさんが体調を崩しそうだったということもあり どこか座れるところへ行こうと ――どうして僕はこんなところしか思いつかなかったのか――新宿アルコットのジュンク堂へ入った 空いていた堅い木の椅子に二人で座り 彼女は神聖かまってちゃんのインタビューが掲載された雑誌を 僕は長嶋有の単行本を手にまた少し話をする



 バイト先に現れてはMさんをナンパする40代のおっさんの話


「バイト先で男の人にいつも話しかけられて おっさんなんですけど」


「うん」


「毎日バイト先に来て 今日も可愛いですねとか言われるんですけど このあいだ連絡先を訊かれて 教えたくなかったんでごまかしてたら どうして教えてくれないんですかって言うんです」


「すごいパワーだなぁ」


「で じゃあ僕が教えるんで って連絡先もらったんですけど そのまま放置してます」



 浜辺でライブをしていた男性に声を掛けられた話


「浜辺でやってたライブを後ろの方で聴いてたんですけど ライブが終わったあとにバンドの人に声掛けられたんです ちゃんと聴いてくれてる感じがしたって」


「うん」


「連絡先訊かれたんで交換して このあいだメールが来たんですけどメルマガみたいなメールだったんで返信してないんです 友達と相談したんですけど 返信しなくて良いんじゃない? って」



 諦めたような口振りの所為か どちらも言い寄ってくる男の人に良い印象を抱けなかった Mさんは昔好きだった男性の話をしていて 僕はその声を聞きながら手元の小説を読み 本のページを撫でていた 目の前はすぐエスカレーターで 乗降口のそばにある特設コーナーでは黄色っぽい英会話教材の営業をしている壮年の男性が度々立ち止まる人を捕まえては 教材の魅力や優れている点を話している 眼鏡を掛けた若い会社員の次はOL風のスーツを着た女性 彼は少し手が空くと 狭い一人掛けの椅子に二人で座っている僕等を見ていた
 以前Mさんから受けた身動きの取れないような閉塞感は少しだけ和らいでいたが 話す内容は以前と同じく指向性のないものが多く 相変わらずどこかへ向かうような一面を見せない子だなと 誰かが耳打ちでもしたように不意に思ってしまう 長嶋有の単行本を買い 閉店時間の近づいたジュンク堂を出て 丸ノ内線の改札前で「ありがとうございます」とお互い言って別れ ヘッドフォンに手を掛ける


「ずっと同じ人が好きだったんです 私」


 そう言っていた彼女にも 今は別に気になる人がいるらしい 歓迎される変化であるかどうかは別として 毎日相対する客がくるくると回るように 人は日々変わっているのかもしれない あらゆる物事はその前後をつなぎながら現在進行形で移ろっている 二重螺旋を描くように流れる生命の その先頭に今 彼女や僕の子供がいる