四月の終わりの明け方に 母が亡くなりました


「さようなら また来るよ」というような挨拶を実家や病室で何度もしました 本当にさようならするかもしれないと思いながら




 何かを 長々と書いてみたりもしましたがなんだか書くこと自体を躊躇ってしまって中途半端になってしまいました あまりにも精緻に記憶されている出来事は文章化できないと小説の冒頭にありましたが 少し待ってみても 時間は問題を解決してはくれず けれど問題意識は薄くなっていってしまうだけで あらゆるものと「はじまり」も「終わり」もない関係性を築いていかなければいけないと思うのでした